北海道、其の四 (千歳空港・札幌編)

北海道、其の四


(千歳空港・札幌編)


旅行場所:千歳空港・札幌

期間:1993年 8月 5日~ 8月 8日

行程:8月5日の夕方、仕事が定時で片付き、そのまま家に帰らずに旅行に出発。1989年8月以来、4年ぶり4度目の北海道旅行である。今回は千歳空港の連絡線一駅間が開通したので、その区間を乗って3度目の道内路線完乗とする為だ。ついでに帰りに前回の時以後に開通した、東北・上越新幹線の上野と東京の区間も乗っておこうという訳だ。とにかく翌日の東北新幹線の始発に間に合わせなければいけない。西明石を6時半過ぎに出て新大阪、米原と乗り継ぎ、そこから東海道本線の普通で大垣には9時に着いた。ここからは名物の大垣夜行という、夜行の普通列車で東京へ向かうのである。とりあえず駅前の食堂でカレーライスで夜食を済ませ、10時40分発の電車を待つ。長旅になるので編成中に2両繋いであるグリーン車に乗った。勿論、東京迄のグリーン券も買ってある。夏休み期間で小中高生・大学生から大人に至るまでホームはごった返していた。皆席を確保するのに必死の感じである。そして電車が到着、かつての急行型で活躍した緑とオレンジのツートンカラーの車両だ。早速グリ-ン者に乗り込み、座席に座ってこの先の予定を確認。やがて時間になり電車は大垣を出て、夜の東海道を東京に向けて進んでいく。寝にくい環境ながら一眠りだ。

8月6日の早朝、まだ夜も明けない5時前に電車は東京駅のホームに着いた。すぐに京浜東北線で上野に移動、地下の新幹線ホームに着くと6時発のやまびこを待つ。そして新幹線の車両が到着し、座席に一旦座って、ホームに出て朝御飯用のチキン弁当を買った。以前にも何回か食べた事があり結構気に入っている駅弁で、上野駅でも東京駅でも売っている。6時丁度に発車したやまびこの車内で早速チキン弁当で朝食を済ませ、盛岡に着くのを待つ。その先は珍しく指定席を取ってあるので余裕である。約2時間40分程で盛岡に着くと、青森行きのはつかり発車迄は1時間丁度の待ち合わせで、その間に昼食用の栗めし弁当を買った。青森では待ち時間が少なく、余裕が無い為である。殆どは自由席に座るのだが長旅の為、はつかりと函館からの北斗は今回指定席を取った。盛岡を出て約2時間20分程で青森に12時前の到着、すぐの乗り換えの為、ホームに架かる跨線橋の通路に急ぐ。快速海峡は編成両数が少ないのを時刻表で調べていたのだ。ホームに青い車体の海峡が機関車に押されて入ってきた。夏のシーズンのせいか、増結してあるようだ。12時過ぎに青森を出て津軽線を北上、時折窓の東方向に海の景色が見える。その車中で買ってあった栗めし弁当で昼食タイム。青函トンネルを潜り4度目の渡道である。函館に着くと9分の乗換え時間で特急北斗に乗り、3時前に発車、向かう先は南千歳である。以前の駅名は千歳空港だったが、新千歳空港駅への連絡線が開通して空港の付いた名前を新駅に譲る格好で南千歳に変更した。3時間少々で南千歳に到着。夕方6時を過ぎていた。快速エアポートで開通した新線を踏破、新千歳空港駅迄は地下に潜り、島式1面のホームの両側に発着する様になっている。ホームで写真を撮ったのは6時半頃だった。これで三度目の道内路線完乗となった。来た時に乗っていた電車がそのまま折り返して、札幌行きの快速エアポートになる。快速だけど特急に使っている電車だから、乗り心地はいい。30数分で札幌に着いたら7時半になろうかという頃だった。以前と違って札幌駅は高架かされ、奥へ引っ込んだ形になり、元の駅舎があった場所は仮設の建物があった。将来は新幹線のホームにする話もあるような無いような。
とりあえず地下鉄に乗りホテルへ移動。札幌市の地下鉄はゴムタイヤを履いた珍しい方式である。部屋に一旦荷物を置いて、ラーメンを食べにすすきのへ。この日は丁度すすきの祭りを開催していたので大賑わいだった。ラーメン横丁に入り、流れのまま1件の店に入ってバターコーンラーメンを注文、このトッピングがお気に入りなのである。店には有名人もよく来るみたいでサインが壁に貼られていた。ホテルへ戻る途中に屋台を見ると串ポテトを売っていて美味そうなので買ってみた。大きくて食べ応えがあった。やっぱり産地で食べると一味違う。前夜からの大移動を終え、目的も一段落でやっと一休みだ。

8月7日、朝はそこそこにホテルを出発して札幌駅のコインロッカーに大きいバッグを預け、近くの店で朝御飯の洋定食を食べて、地下鉄で円山公園に移動。まず向かったのは札幌円山球場である。この日はデーゲームで日本ハムVS近鉄16回戦があり、その入場券を先に買う為である。本拠地以外の地方球場で見るのは初めてで、この年の4月には開場した福岡ドームの公式戦の最初のゲームを見に行っており、同じ年に九州と北海道で観戦となった。しかも偶然にどちらも対近鉄戦である。そういえば過去に川崎球場・千葉マリンスタジアムに行った時も何故か対近鉄戦だった。余程近鉄に縁があるみたいだ。入場券が発売開始となり、望み通りバックネット裏のいい位置の座席を確保、試合は昼からなのでそれまでは付近を観光する事にした。まず北海道神宮へ参拝、その後円山動物園に入って見て廻った。昼食にカレーライスを食べて、いざ球場へ。この試合の両軍の先発投手は日本ハムが柴田、近鉄が吉井と発表されていた。TV・ラジオの中継もあって、テレビ朝日の大下剛史、朝日放送の皆川睦雄の両解説者がそれぞれの放送席に座っていた。プロ野球の公式戦をナイター照明の無い球場で見るのは初めてである。両翼はそこそこ広く、外野フェンスは遠くから見ると低く見えるが実際は金網を上に継ぎ足していて高さを保っている。
試合は終盤まで両軍無得点のまま8回の裏に日本ハムが一挙5点を挙げ、5-0で日本ハムの勝ちだった。試合時間は2時間54分、ほぼ平均的な時間である。試合が終わって円山公園駅から地下鉄に乗り大通駅で下車。雪印のパーラーに立ち寄り、ロイヤルスペシャルというアイスクリームを食べた。なかなかミルクの味わいが濃厚である。それから夕方に札幌駅に戻り、夕張メロンの自宅配送を注文して他の土産物を買い、夜食は駅構内でほくと定食を食べた。後は夜行の急行はまなすで青森迄は車中泊である。座席の確保の為、早々にホームで並ぶ。待っていると列車が入線して来た。乗る車両は特急用客車の座席車だ。夜10時丁度に出発、予定通りなら青森迄葉7時間20分程で着く。札幌を出たはまなすがこの旅で道内では最後の乗車である。夜の北海道をひた走り、函館で機関車を着け換えて出発。青函トンネルに入ればいよいよ北海道とお別れである。寝たり起きたりを繰り返しの夜だった。

8月8日の朝、目が覚めると列車は駅の無い所で止まっていた。すでに青函トンネルを潜り、津軽線内のレールの上だ。時計を見たがこんなところで止まってる筈が無い。おかしいと思っていると車内放送で「地震のあった影響で暫く運転を見合わせています。」とアナウンスがあった。「そんなアホな!、帰られへんかったらどないすんねん!」と頭の中で怒ってみたもののどうしようもない。無理も無い。この旅行の1ヶ月前に発生した、南西沖地震の余震がまだ時折、続いていたのである。そういう時期だからいつゆれても不思議は無い。本州側へ戻るまで地震に合わなかったのは運が良かっただけかもしれない。かなり待って列車は動き出したが、何しろこの線区は単線で、行き違い出来るのは蟹田駅位だ。本数が少ないと思うようでも、他に貨物列車も運行していて、編成も長くやり繰りが大変である。結局青森には予定より約1時間半近く遅れて到着。すると乗り換える予定の特急はつかりが、急行はまなすが着くのを待っていてくれていた。青森を16分遅れで7時前に発車、盛岡には10分遅れの9時前に着いた。更に東北新幹線やまびこも少し待ってくれて、3分遅れの出発。スピ-ドを上げて遅れを挽回、約3時間20分程で予定通り上野に着いた。新幹線様々である。それから上野で写真を撮り、まだ乗っていない新幹線の上野-東京間を踏破。この時点でのJR線完乗となった。東京駅での乗り換えは1時前、昼食に幕の内弁当松風を買い、東海道新幹線ひかりに乗った。1時過ぎに発車、4時20分に新神戸に着いた。

1982年8月に初めて函館駅に青函連絡船で渡って以来、足掛け11年の道程だった。これで北海道のJR路線踏破の旅行は完了である。この間に少しづつ所要時間が短くなって、乗り換えの回数も減り、これから東北新幹線は更に北へ伸びようとしている。ますます距離感は縮まろうとしている。ただ、在来線の新線の予定は聞かないし、可能性が有るとすれば新幹線の札幌延伸位でいつになるか見通しが立っていない。しかし、今度訪れる機会があればゆっくりとピンポイントで見て廻りたい。小樽・帯広・稚内・知床・富良野・ETC。行きたい所を挙げればキリが無い。さて次はいつ行けるのだろう。


© Rakuten Group, Inc.